ブレンダー開発物語
2013/03/14|会長ブログ
≪開発の経緯≫
今回は当社が最初に開発した「プロセスブレンダー」についてブレンダーが必要になった背景と開発の経緯をご紹介します。
1980年(昭和55年)第2次石油ショックを契機に原油価格が2.5倍に急騰したことから、原油を100%輸入に依存していた日本経済は総花的に物価が高騰し船舶用燃料価格も例外ではなく、業界では死活問題と騒がれました。
当時、商船の燃料使用体系は遠洋航海の商船主機関には安価なⅭ重油を、発電機関には割高なA重油が使用されており、漁船および内航船等にはA重油とB重油(A重油とⅭ重油の中間粘度油)が使用されていました。
燃料のコストダウン対策として、ブレンダーが開発され各社の様々な仕様で採用されるようになりました。(ブレンダーはⅭ重油とA重油を任意の比率で混合する装置です)
その経緯は英国製のブレンダーが発売になり普及すると同時期に、国内においても発電機メーカー・ボイラーメーカー・大手船会社の系列メーカー等15社ほどが乱立しました。
≪内航船B重油使用のブレンダー設備≫
しかし、B重油(加熱しないで移送できる粘度の重油)を使用する内航船にブレンダーを搭載し使用するためには加熱装置(ボイラーなど)と燃料タンクの加熱装置の搭載が必要となるため設備には、Ⅽ重油を使用する外航船と比較してボイラー、燃料タンク加熱装置に多額の予算を必要としました。
当社が開発した「プロセスブレンダーシステム」は、こういった加熱装置を使用することなくⅭ重油とA重油の混合重油を製造できるブレンダー装置です。
≪「HP型プロセスブレンダーシステム」の開発動機≫
「プロセスブレンダーシステム」を開発したきっかけは、ある取引造船所での船主との会話でした。
『内航船にブレンダー装置を介してコストダウンを図りたいが、船舶整備公団の融資予算を利用しても別途2,500万円必要なため償却期間が長すぎる。バンカー時(内航船が給油船からまたは港のタンク基地から給油すること)Ⅽ重油とA重油を内航船等に給油する際にブレンドできんもんかいな?安価にブレンドできればなあ』
実はこの一言が機縁で今回の新開発「プロセスブレンダーシステム」の着想ができ開発に取り組むことになりました。
顧客ニーズは便利、しかも安価でこの種の装置は今まで皆無であり開発できれば必ず販売可能であると判断できました。
設計思想としては文献調査、船舶ルールの基準を満足すること。制御、混合ほか必要要件の調査と専門家の意見聴取等で問題は、むしろ社内のコンセンサスであり予想通りほぼ全員の反対で、当社は商社でありメーカーではないこと。設備に不足の点があり、しかも社歴は浅く信用力も不足。あるのは確信的腹案とヤル気、あとは気合あるのみです。
まず、計画書から取組み、使用機器の検索と機能確認、基本設計、詳細設計、ルール調査等一つ一つ調査確認し、机上での実験をシュミレーションし、とりあえずパイロット機を作りダミー信号による運転までこぎつけましたが、あとは困難極まる受注活動でした。
「プロセスブレンダーシステム」の第1号受注は3種類ありました。
その1・内航LPG船船主から開発実証を条件に1号機内示受注、燃料タンク条件より加熱管工事ができない、機関室が狭く熱源装置などの設置場所がない場合等には「プロセスブレンダーシステム」が最適です。
その2・契約1号機は、フェリー会社の陸上燃料タンク基地に接続する案です。
元の計画はB重油既設タンク、A重油既設タンクにⅭ重油タンクの増設、熱源としてボイラーとブレンダーを増設する計画でしたが、それに対し当社は下記フロー図による設備です。
その3・納品1号機はフェリーボート会社への納入実績でした。打合せおよび製造期間が
短期間で済んだため納品1号機となりました。
≪記念すべき1号機商談の経緯≫
当社地元のフェリー運航会社の専用フェリー発着港に、ブレンダー設備を計画中であるとの情報により、早速訪問PRを開始した結果、計画の概要が判明しました。
同社の現状の既設設備はB重油タンク、A重油タンク、給油船による受入配管設備、フェリーボートへの油送ポンプ設備。 ブレンダー油自社製造の計画設備として①新たに蒸気加熱設備付②Ⅽ重油タンク③ボイラー④ブレンダー装置です。
これに対し当社開発のプロセスブレンダーは新開発プロセスブレンダー設備の増設と関連配管のみで約1/3の予算で済む方法です。
同社へ訪問し当社開発のブレンダー装置を提案書によりPRを開始しましたが、実績が皆無であること、技術的に実証されていないこと、当社は商社でありメーカーではないこと、社歴が浅いこと、会社規模が小さく信用に不足があること、生産設備を持っていないこと等で困難が予想されました。あるのは安価であること、机上理論にかなっていること、個人的には船舶関係専門商社におけるサラリーマン時代の15年間の出入り実績による信用くらいでした。営業開始から多くの困難なハードルをこなしました。
如何せん不測のことが多くありましたが、これを精一杯の情熱で乗り切りました。顧客である同社オーナーは、おそらく利害を超えた船舶業界全体のメリットを考えた高い見識により小生にお任せいただいたと今更ながら深く感謝しております。
この時の実績がその後のブレンダー商談に大きく影響したことは疑う余地もありません。
次回のブログは当社の厳しいブレンダー商戦をご紹介します。
なお、その他次のようなブレンダー装置があります。